『世界から猫が消えたなら』を今更ながら読んでみた。

「世界から◯◯を消す。代わりにあなたは一日の命を得ることができる」

もし明日死ぬことがわかっていたらあなたはどうしますか?

 

今週は2013年の本屋大賞にもノミネートされたこの一冊。 

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

作者の川村元気は映画プロデューサー。彼があえて小説という手段で世の中に表現したかったのは「何かが消える」ということ。

 

物語はすごく単純。

ガンであることが判明した主人公の前に現れた悪魔が突然こう告げる。電話、映画、時計…。一つ一つが消されるたびに、それにまつわる思い出や、失うことでの喪失感が生まれてくる。

 

単純でしょ?でも、ものすごく考えさせられる。

特に心に残ったのは主人公が「この世界から僕が消えたなら」ということを考えるシーン

自分が存在した世界と、存在しなかった世界。そこにあるであろう微細な差。

その小さな”差”こそが僕が生きてきた”印”なのだ。

僕は自分が関わった人に何を与えてきたのだろうか。何を残したのだろうか。

そうやって振り返ってみると不安にもなる一方で、自分も色々な人に何かしらを残しているのかもしれないと感じる。

そうやって周りを見ると今まで関わったどんな人も何かしら自分の中には残しているはずで、これって結構かけがえないことなのかもしれない。

 

「世界から◯◯がなくなったら」

そうやって想像してみると改めて自分の身の回りには大事なものがたくさんあるんだなと気がつく。

 

今、部屋を見渡して。少し考えて見る。

 

「世界からコートが消えたなら」

会社にいくの寒いんだろうなあ。目の前にあるコートは茶色いピーコート。昔、腕を通す時に腕時計を引っ掛けて中の布が破れている。大学時代は寒い教室の中であのコートを膝にかけて授業受けたなあ。寒い日に彼女の肩にコートをかけてあげたっていう思い出もなかったんだろうな。まあコレは元々ないねんけど。

 
「世界からランニングシューズが消えたなら」

中学から大学まで陸上の長距離をやってきて、今でもマラソンに出たりしている。

もしシューズがなかったらあんなに長い距離を毎日走ることはできなかったかな。すぐに足が壊れそう。

雨の日に水たまりをバシャンと踏んでしまうのが意外と好きで。水を含んだ靴で地面を蹴る度にジュワッと靴と靴下から水が染み出す感覚がなんとも言えずに好きだった。

新しい靴を買った時のワクワク感。お店の独特の匂い。家に持ち帰ったらすぐ箱から出して、「まだ履いていない綺麗な靴」を家の床に置いて写真を撮る。儀式みたいなものでシューズを買った日は必ず1人で走りにいく。あの時の自然と笑顔が出てしまうような瞬間が嬉しい。

 

「世界から小説が消えたなら」

人生で1000冊くらいは読んできたはずの小説がもしなかったら。休みの日に家で時間がある時には自分は何をするんだろう。

ミステリーを読んで騙されたと悔しがる、けどスッキリする時間。家族の暖かさを感じる小説を読めば家庭を持ちたいなと思ったし、恋愛小説を読んで落ち着いた恋愛がしたいなと思ったり笑 スポーツや色々な仕事、生き方をあたかも経験しているかのようなワクワク感。

読んでいる時間だけでなくて、本屋で本を選んでいるワクワクした時間、小説を書こうとして机に座っても何も出てこずモヤモヤと頭が沸騰しそうな時間、小説を読みながら寝てしまった時の奇妙な満足感、ふと見た光景をまるで小説みたいだと思う瞬間もなかったのかもしれない。

小説を読むって改めて僕の人生にとって結構色々なものを残しているなあと。

 

ちょっと見まわしてみただけでも色々なものの大切さに気がつく。

これは”喪失”の物語だと思う。そして喪失を恐れてしまうほどに、身の回りには大切なものが溢れているんだということを見せつけられた気がする。

当たり前の日常は思った以上に美しい。

 

てか映画版、宮崎あおいさん出てるのか。これは観なければ💡